「新年あけましておめでとうございます」は間違いではない

雑学、雑感

 

新年あけましておめでとうございます

ぼくの周りでは、年末年始になると必ずと言っていいほどこのフレーズが誤用か否かが俎上にあがります。

誤用とされる理由は2つ。

  1. 「新年」と「あけまして」が重複表現である
  2. 「年が明ける」のは新たな年が始まることを意味する。したがって新年が明けたら翌年になってしまう

誤用だとする人からは「新年おめでとうございます」か「明けましておめでとうございます」にするべきと言われます。
ネットやコラムなどで見かける論調もだいたい同じ。

「新年あけましておめでとうございます」を誤用と考えていても、慣用表現として使われているからOKとしている人もいます。

言葉を職業にしているNHK放送文化研究所でも、「新年明けまして」を完全な間違いとは見なしていません。

「新年あけましておめでとうございます」については、視聴者の方から、「新年」と「あけまして」が重複しているのではないかという指摘を受けることがあります。また、「新年」があけるのでなく、「旧年」があけるのだから、「新年あけまして・・・」はおかしいと思う人もいるようです。しかし、年始のあいさつの慣用として、広く使われていますし、年が改まったおめでたい気分や様子を強調する表現とも考えられるため、完全な間違いだとは考えていません。

「新年あけましておめでとうございます」は重複表現?

つまり「新年明けましておめでとうございます」を使っても恥をかくことはないということです。
それを踏まえた上で慎重を期すなら「明けましておめでとうございます」「新年おめでとうございます」にする、と。

答えは出ているのに、なぜこの記事を書いているかというと、「明けましておめでとうございます」に違和感があるからです。

 

「明けましておめでとうございます」には主語がない

「新年おめでとうございます」はしっくりくる。

ひっかかるのは「明けましておめでとうございます」の方。

あ・ける【明ける/開ける/空ける】の意味

1 (明ける)あるひと続きの時間・期間・状態が終わって、次の時間・期間・状態になる。

  • ㋐朝になる。「夜が―・ける」⇔暮れる。
  • ㋑年が改まる。「年が―・ける」⇔暮れる。
  • ㋒ある期間が終わる。「喪が―・ける」「梅雨 (つゆ) が―・ける」

Goo辞書

「新年があける」は、1の「ある期間が終わって次の状態になる」の使い方。

新年が明けたら一年が終わってしまうというのはもっともではあります。
しかし「明けましておめでとうございます」はどこか落ち着かない。

その理由は主語がないから。

「明けたからジメジメから解放はされるけど、これから暑くなるから嫌だな」とは言わないですね。

普通は主語である「梅雨が」が頭につきます。

 

「明けましておめでとうございます」に隠れている主語は「年」

「明けまして」に隠れている主語は「年」。しかし「年が明けましておめでとうございます」では締まりがない。

何が明けてめでたいのかをはっきりさせたければ、新年を入れたくなるのが人情というもの。そんな心情を考えれば、

新年あけましておめでとうございます

はむしろ自然に思えます。

新年あけまして違和感がある人は、

(無事に)新年(を迎えました)、あけましておめでとうございます

こんなふうに新年の後ろについている語が略されていると考えたら落ち着けるのではないでしょうか。

 

誤用を教えてくれる人にどう返事するか

一般に流布している正しい言葉の使い方をしていないと誤用を指摘をしてくれる人がいます。
その多くは親切心から出ているため、返答に窮することがあります。

新年あけましては文節が別と解釈して下さい」と丁寧に言ってみたところであまり印象はよくない。
悪くすれば屁理屈ととられてしまう。

「ご苦労様でしたを目上の人に使ってはいけない」「了解しましたではなく承知しましたと言うべき」のように、ビジネスマナーとして定着しているほうが間違っているケースもそうですが、正しいとされる日本語を使っているのに誤用と指摘されると説明しづらい空気があります。

畢竟、面倒を避けて誤用とされていない無難な言葉を使うことが多くなる。個々人の判断としてはそれでいいけれど、誤用だとする誤った知識が流布したまま消え去らないという負の遺産になってしまう問題がある。

偉い人がマスメディアで、誤用としているのは間違いと言い続けてくれればいいんですけどね。

そんなこんなを考えながら、年を越してしまいました。
なにはともあれ今年もよろしくお願いします。