物言えば唇寒し秋の風 分かるようで分からない意味の変遷
物いへば 唇寒し 穐の風
(ものいえば くちびりさむし あきのかぜ)
ぼくが初めてこの句を知ったのは、手塚治の『アドルフに告ぐ』を読んだ時でした。
『アドルフに告ぐ』の戦前パートで、小学校の先生に下手なことを口にしないよう注意されたパン屋のアドルフが「『もの言えば唇寒し』言うから余計なことは言わへんよ」と返していました。思想を取り締まる特高警察がうろうろしている時代、下手なことは言えません。
だから戦前の言いたいことが言えない時代、下手なことを口にすると唇が寒くなる=いいことがない=口は災いの元と解釈していました。
事実、戦前はわりと一般的に使われており、めんどくさい時世を表していたようで、この理解は間違ってはいませんでした。
ただ、長じて芭蕉の句だと知った時、この使い方に違和感が生じました。
「物言えば 唇寒し 秋の風」を素直に受け取れば、「(ものを言おうと)口を開くと、秋風で唇で寒さを感じるくらい秋が深まってきたな」となります。
体のほんの一部から感じ取った季節が描写されています。俳句には疎いですが、それでも俳句ならではの写実性が出ていると思います。
寒冷地で厳しい寒さに遭遇していたら、鼻水が凍ることを詠んだかもしれません。
「物いへば~」は芭蕉没後に弟子の中村史邦によって編纂された『芭蕉庵小文庫』に収められています。中村文邦は「春庵」の名をもつ医師で、俳句では芭蕉に師事していた人です。
この句が警句じみたものになった理由を調べてみると、中村史邦が句の前書きとして「人の短をいふ事なかれ 己が長をいふ事なかれ」という文言を付けていたのが原因のようです。
「人の短所をあげつらうな、自分のいいところを吹聴するな」というのはもっともなことですが、それを「俳句」で表現する意味があるか、という疑問も生じます。
ただ、この前置きの影響で「道徳上好ましくないことを言う」と唇が寒くなる⇒身体が寒くなるといった流れができたようです。
大辞林でも同じ説明になっています。
〔芭蕉の句。人の短所を言ったあとは寒々とした気持ちに襲われる,の意〕
転じて,うっかりものを言うと,それが原因となって災いを招く。口は災いのもと。
前書きによって「寒々とした気持ちになる」という解釈までは理解できます。
しかしなぜそれが災いに転じるのかがさっぱり分からない。自分の気持ちと外部的な災いに因果関係はありませんよね。
警句的な受け取り方に疑問を持つ人はいても、こころの状態が外部的な禍に転じたことには違和感を持っている人は見たことはないんですよね。疑問を持った人はいないのかなあ。
ディスカッション
コメント一覧
ほんとに「変遷」を経たままの現行解釈に違和感ありありですね。
句に並んだ言葉を素直に受け取れば、
「いや、秋風冷たくって、唇つぐんじゃうよねー、そんくらい寒くなりはじめのこの時期の寒さって身に浸みるよねー」
古今不変の季節の感慨を表した言葉の芸術、と理解して然るべきと自分も思います。