乙武洋匡氏にまじめなんてイメージを持っていた人はいるんだろうか

2017年2月28日、週刊文春Onlineに、乙武洋匡(おとたけひろただ)氏の「『感動ポルノ』との決別」という記事が掲載されました。

昨年、メディアに「感動ポルノ」という言葉が踊った。これはオーストラリアの人権活動家であるステラ・ヤング(故人)が2012年に初めて用いた言葉で、彼女は障害者がやたらと感動的に扱われる現象について、皮肉をこめてこう呼んだ。日本では、昨年8月にNHK Eテレが放送した『バリバラ』という番組が、もはや晩夏の風物詩とさえなった感のある『24時間テレビ』について「感動ポルノである」と批判した。これまでにもネット上では、「お涙頂戴」などと揶揄されてきた同番組だが、ここまではっきりと、しかも公共放送であるNHKによって否定されたのは、ある意味、画期的なことだったと言える。

乙武洋匡「感動ポルノ」との決別
昨年、メディアに「感動ポルノ」という言葉が踊った。これはオーストラリアの人権活動家であるステラ・ヤング(故人)が2012年に初めて用いた言葉で、彼女は障害者がやたらと感動的に扱われる現象について、皮肉…

感動ポルノとは障害者の頑張る姿を見せることで、健常者が感動するための枠組みと、それを利用して利益を得る構造を指しています。この言葉をはじめて公の場で用いたステラ・ヤング氏はオーストラリアの人権活動家、ジャーナリストの顔も持つコメディアン。2014年死去。

ステラ・ヤング氏の講演(音量注意)

こういう構造への批判はもっともだし、私もそう感じます。

しかし、乙武氏がそれを言うのはどうよ?とモヤモヤが湧いて止まらなくなった。

乙武氏が頑張り屋なのはそのとおりだけど、真面目とは到底思えなかったんですよね。

そもそも乙武さんは「感動ポルノ」を利用していたんじゃないの?

当人はその気はなくても、感動ポルノの枠組みに乗っかってきたようにしか思えません。

乙武氏の文章は雑誌で読む程度で、もともと興味はなかったのですが、レストランで自分を入れてくれなかったといってレストランを名指しで批判するようなツイートをした時に、それを強く感じました。

銀座イタリアンレストラン入店拒否されてツイッターで名指し批判

入店拒否事件とは書いていますが、入店自体は拒否されていません。

お店は2階。エレベーターが使えないので、車椅子での入店は難しい。同伴の女性に担ぎ上げる体力はない。

だからお店の人担ぎあげて登ってくれと頼んだところ、「予約の時に言ってもらえないと」「忙しいから今は無理」と言われただけ。

乙武氏は自力で上がることもできますが、スーツだったためそれを嫌っただけというもの。

詳しく説明すると、事の起こりは2013年5月18日夜。乙武氏が連れの女性と予約していたレストランに行くと、ビルには段差があり、さらにエレベーターが2階には止まらないことが判明(お店のサイトには記載されていた)。

乙武氏はジーンズならば自力で登れるけれど、スーツだったためにそれを避けたかった。連れの女性に乙武氏を担ぎ上げることは体力的に難しい。

そこで店に担ぎ上げてもらえないかと頼んたところ、お店のスタッフに「手が離せないから少し待って欲しい」と言われて待つこと10分。

すると店主が出てきて、「車椅子なら事前に言っておいてもらえないと」と言ったそうです。

「車椅子は置きっぱなしでいい、本人だけでいい(から抱え上げてくれ)」と頼んだところ、店主は

「忙しいから無理」「……」「これがうちのスタイルなんでね」

と返したそうです(乙武氏のツイートの記録)。

入店自体は拒否されていません。「予約の時に言ってくれれば」「手が足りないから」なので、自力で上がれるなら入店できていました。

店主とのやりとりに憤慨した乙武氏は「入店拒否された」と店名を出してツイート。当然のごとく賛否が巻き起こりました。

「障害者だから」ではなく、手が足りないから無理というだけのことで名指し批判。これ、ぼくには私刑にしか思えないんですね。

お涙頂戴はいけないことなのか?

乙武氏の触れたNHKのEテレで2016年8月に放送された『バリバラ』という番組。

その中で障害者の感動的な番組をどう思うか?というアンケートを行ったところ、健常者は100人55人が嫌いで45人は好きと答えたのに対し、障害者は100人中10人が嫌いと答えたという。

24時間テレビの是非はおいておいて、これ、そのまま受け入れていいのか?という疑問が生じる。

だいたい事件に巻き込まれたり、ネタにされた当事者はマスコミ報道は嫌なものです。中には知ってほしいという人もいるだろうけれど、全般的に嫌なものです。

そもそも数の問題にすると、嫌いなのが少数ならその番組は好ましいのか?という問題が出てきます。

NHKで放映されていたプロジェクトXは肯定的な意見が多かったものの、お涙頂戴すぎて面白くもなんともないという技術者もいました。こういった少数派の意見は無視していいのか?ということも議論に上がりかねない。

テレビを含めたマスメディアは大多数の興味を前提に行動するのだから、多数派が多い方に流れるだけです。

倫理的なことを持ち出すなら、凶悪犯罪の容疑者であっても裁判での結果が出るまでは名前を報道する意味はないはずです。

余罪がありそうな場合に情報提供を求めるという効果はありますが、そうでなければ犯罪者の名前を知ることが、どれだけの視聴者のメリットになるんでしょうか?

そこに目を向けずにお涙頂戴批判をしても、ただ24時間テレビをつまらないと思っていた人の溜飲を下げるだけでしかないでしょう。

もやもやの正体

乙武氏がお笑い芸人なら言ってることは分かる、というのが正直なところです。

「普通」ならば、不倫した相手が何人もいて選挙に打って出るとしたら、予め身辺整理します。

もし不用意に不倫しまくっていたのに身辺整理もせずに選挙に出馬を表明したら馬鹿でしょ?と一蹴されて終わりです。首相(宇野宗佑)ですら愛人一人のことが暴露されて退陣して、すぐに忘れ去られたんですよ。

健常者なら呆れられて、大手メディアには出られなくなりますよ。

愛人が何人いようがいいけどね、身辺整理くらいするのが普通でしょう。周囲の人が不倫していたことを知っていたなら、きちんとしておけと助言していたはずです。

妻がいるのを知りながら関係を持った女性が5人もいたということも驚きです。「普通」なら、いくら相手に惹かれても奥さんに申し訳ないと後ろめたさから避けます。一線を超えることがあるとしても、そう多くはないでしょう。

そう考えると乙武さんの周りにいる女性って、モラルに欠ける人が多いのか?と、邪推したくもなります。もちろん、個人のモラルの問題ですし、自由ですからモンクは言いません。ただ、そう思うだけです。

普通ってなんだ?

ところが事前に車椅子であることを伝えず、手が一杯で入れてもらえなかったレストランを名指しで批判するようなツイートをするのは普通ではないです。

予約するなら子連れでも入れるかどうかを聞くのは特別なことではありません。無条件でだめ、というならともかく、その日はごめんなさいだっただけなのに、その人がレストランを名指しで批判するでしょうか?

乙武氏のそういったところに特権階級的な意識が垣間見えてきます。有名人だから批判すべきでないとは思わないし、やりたいことをやればいいとは思います。ただ、感動ポルノの被害者づらするのは頂けない。

ああ、そんな当たり前のことを説明するのに、人生の40年も費やしてしまった。しゃあない。気を取り直して再スタートするか。今度は逆に、マジメに頑張ってみようかね。

不倫報道で望ましくないことになったため、自己正当化してるようにしか思えないんですよね。そんなこんなで思い至ったのは

「普通」ってなんだろう

ということ。「普通」という表現は難しい問題を孕んでいるので、改めて考えるいいきっかけにはなった。だけど不愉快さが残る記事でした。

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