南極のストリートビュー
1911年12月14日、世界中の国が争った南極点到達レースをに終止符が打たれた。
レースを制したのはロアール・アムンセン率いるノルウェーの「南極点遠征隊」。
最大のライバルであったイギリスのロバート・スコットが南極点に到達したのは一月遅れの1月17日。スコット隊はアムンセンの後塵を拝したばかりか、帰還途中に隊が全滅するという不運に見舞われた。
同時期に南極点を目指していた日本の白瀬矗(しらせのぶ)は、南極点に到達することはできなかったが、1月28日に南緯80度05分、西経156度37分に到達した後帰路につく。スコット隊とは違い、全員帰還を果たした。
命をかけ、熾烈な競争が繰り広げられた南極点到達レースから百余年が経った現在では、南極大陸は観光と呼べる場所となっている。寒冷地でのキャンプや行動の経験も必要がなく、訓練も不要で一般人も訪うことができる。
身近になったため、ネットには観光で訪れた人々の撮影した写真も数多くアップされている。
そして一部ではあるものの、Googleストリートビューでも南極に対応し、モニターの前にいながら南極の景色をぐるりと眺めることができるようになっている。
南極点の旗とポール
南極点にあるポールと各国の旗。背景に映る建物はアムンゼン・スコット基地。
南極点望遠鏡
南極点に建設された口径10mの電波望遠鏡。南極の内陸部は湿度が低く高度も高いため、観測に適している。
太陽が低い位置にある不思議な光景
ロス島
シャクルトン隊の小屋(ケープ・ロイズ)
1907-1909年の探検中にアーネスト・シャックルトン隊によって建てられた小屋。
スコットの小屋(ケープ・エヴァンス)
1911年にの英国南極探検隊によるテラ・ノヴァ遠征(1910〜1913年)の際に建てられた小屋。傷んでおり、小屋の入り口には「入室は自己責任で」のプレートが掛かっている。
ユニオングレイシャーキャンプ
民間の観光向け南極キャンプ地。ALE社の南極ツアーの拠点。
南極の夏の期間である11月~1月のみオープンし、期間中は医師・看護師も常駐する。
アクセス手段はチリからの空路のみ。
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